新潟県長岡市(旧三島郡越路町)の高橋ハナさんの昔話。昔話独特の語り調子と、いきいきしたリズムが分かるとお話が語り始めます。ぜひCDでむかしばなしを聞いてみてください。
ワシと子ども(誕生話)
あったてんがの。
つぁつぁとかっかがあったと。
男の子が生まれてかわいがって育てていたと。
つぁつぁが病気になって死んでしもうて、かっか一人で子どもを育てていたと。
ある時、かっかが子どもをたんぼに連れていって、そこらへ寝かせて仕事をしていたら、ワシがきてその子どもをくわえてパーッとたっていったと。
かっかは子どもをさらっていったあと、しんけい(気が違った)のようになって追っかけていったと。
ワシは子どもをくわえて、遠いどこへ行ってしもうたと。
かっかは子どもがかわいくて仕事をしないで毎日子どもを尋ねて歩いているうちに何年もたってしもうたと。
ワシは子どもをくわえて、遠い村のお寺の屋根に降りたと。
赤子の泣く声がしるんだんが、和尚様が
「小僧小僧、屋根で赤子の泣く声がしるが、おめえ上がって見て来い」
とようたんだんが、小僧がはしごをかけて、屋根へ上がってみたと。
ほうしたら、子どもが泣いていたと。和尚様は
「こらあまあ、ワシがさらって来たに違いない」
とかわいがって育てたと。
その子がだんだん大きくなって、それは利口な子になったと。
学問して偉い坊さんになったと。和尚様が死ぬ時、
「おまえはワシがさらってきた子どもで、その時の着物の切れをお守りにして、おまえのからだに付けてある。いつか母親に会った時、それを証拠にしたらいい」
とようて死んでしもうたと。
その子は着物の切れを大事にしていたと。
ある時、ある村のお寺に偉いお坊さんが来るとて人が大勢集まっていたと。
「あの偉いお坊さんはちんこい時、ワシがさらってきてお寺の屋根に置いていったのを和尚様が大事に育てて、こんげに偉くなったのだ」
と人が話していたと。
それを、子どもを尋ねていた腰のまがった母親が聞いていたと。
「それはきっとおれの子どもに違いない。会いたかった」
と喜んでいたと。
その偉い坊さんがおかごに乗ってこらしたと。
そこへ母親が汚なげのなりをして、腰を曲げて
「この人に一目会わしてくれ」
とようてとんで出たと。お供(とも)が
「このしんけいばさ、なにようている」
と相手にしなかったと。
ほうしたら、かごの中の偉い坊さんが
「おれが会うすけ、ここへ連れてきてくれ」
とようたと。
ばさはワシにさらわれた自分の子どものことを話し、
「さんざん探した」
とようたと。お坊さんは
「この着物の切れに見覚えがあるか」
とお守りの切れを出してばさに見せたと。ばさは
「これはワシにさらわれた時、子どもの着ていた着物だ」
とようたと。お坊さんは
「ああ、おっかさん」
とようて二人抱き付いたと。
ほうして自分はかごから下りて、おっかさんを乗せて、家に連れていったと。
それからおっかさんを大事にして一生仲良く暮らしたと。
いきがさけた。
……読み比べてみたい昔話
共に<誕生話>をテーマとしたお話です。