貧乏神とわがまま息子
新潟県長岡市(旧刈羽郡小国町)の昔話。どこか人なつっこい方言とおだやかな語り口調が嬉しい昔語りです。昔話のCDで独特の語り口調がわかると民話の文章が話し始めます。ぜひ昔ばなしを地の語りで聞いてみてください。
つぁつぁ(父)とかっか(母)がいて、子供がほしいと思うたろも、いっこう産まんなかった。
そのうちに男っ子が生まれたんだんが、喜んで、あれがほしいといってはあれ、これが欲しいといってはこれというてあつけてやった。
だんだんその子はわがままになって、家の前にでっけいままができた。
でっかなっても嫁も来てがなくて、親も死んで、自分の好きなようにしていたら、だんだん家が絶えてきた。
ばくちしるどこへ来ちゃ、ばくちして、だんだん人も相手にしねようになった。
歳とりの晩になって、てめえじゃ暗くなってきてもこめといで、ろくなごっつぉもしねえで、お膳も押しこくっていた。
あかしもつけねでとことこ火たいていた。
ほうしたらガタ、ガタッとでっけえ音がして、でっこい人が、きったねきもん着て、てのこ(手拭い)かぶって立っていた。
「お前は何者だ」
「おれを知らんか」
「お前なんか知らねえよ」
「ここの家の貧乏の神だ。今日からおれの仲間になれ」
というて、はっこい(つめたい)手で男の顔をくるくるとなぜた。
「おらこにこっげ(こんな)の貧乏の神がいる。こっげの人がいるすけ、仕事したくねえ」
と男はやっと気がついた。
「こっだこの神をどうかして追い出さねけやならね」
というて、その晩は、どくに寝ねえで、竹の棒のうらへわらをつけて、そこらはきはねた。
家の中をはきおこしているうちに、夜があけはねた。
ほうしたら、また貧乏神がでてきて、
「きさま、俺の嫌いなことしるな。ほうせや俺も嫌いなことしらあ」
というて、男に小判ガラガラと投げつけた。
男は、松、竹のようにいつまでも、青々として、正気になってわがままにならんようにしょうと思うて、松、竹を飾った。
それが門松のはじまりだと。
法坂 樋ロソメ
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