観音様の御利益
新潟県長岡市(旧刈羽郡小国町)の昔話。どこか人なつっこい方言とおだやかな語り口調が嬉しい昔語りです。昔話のCDで独特の語り口調がわかると民話の文章が話し始めます。ぜひ昔ばなしを地の語りで聞いてみてください。
七日町(なのかまち)(小国町七日町)の次郎助(じろうすけ)という家に娘が一人あったそうな。
その娘の名は、キサというので、桐沢(きりざ)(小国町桐沢)の村へ嫁にくれたそうだ。
五月の節句に、節句泊りに、実家の七日町へ赤ん坊をつれて来たそうだ。
実家の婆さまが、
「せわしなるすけ、早帰れや」
といいなすった。嫁は
「はい、はい」
と返事して、帰るてがんで、山の腰ばっか歩いていった。
ほうしたら、上の方へさがり苺がどうろなっていた。
「あんまり、まあげだし、婆さまに取っていこうか」
と、赤ん坊をおろして、てっじょうの山へあがっていったとさ。
あがって、ちいとばか、もぎはねると、八石山の方から鷹のでっけえがんが、ふわふわ、ふわふわとこっちへ向かうてくる。
嫁は、
「俺の子の方へ向かうて来るが」
と大急ぎで、山の麓へ下りてみると、鷹が子の片足を掴んでいっこう離さねがだ。
股裂いてしもうちゃなんもならんと、もった足を離したと。
鷹は、一生懸命山の上へ飛んでいったそうな。
嫁は、だれも助けてくれるがんがいねんだんが泣き泣き鷹のいった方へいったそうな。
鷹はどんどんてっじょうへ行ぐんだすけ、この嫁は気が違うたようになったきり、帰ってこねえ。
ほうしたら、その鷹は、奈良のなんねん堂の杉の木に巣をくんでいたそうな。
木の上で赤子の泣く声がしるんだんが、それを小僧が聞きつけて、
「方丈様、方丈様、おらこの大門の鷹は、子供さらごうてきて、毎日泣いていますぜ」
と方丈様におせた。ほうしたら方丈様は、
「そうらかい、そうらかい」
というて、
「そっだけや、鷹がどっかにいった留守にはしごかけてあがって連れてこい」
といわっしゃるんだんが、小僧があがってみたら、かわいげな子がいて
「こっちへこい、こい」
というたらほうて来た。
「方丈様、ほっげの子がいたぜ」
というて、連れてきたがんを、体中見たろも怪我一つしていない。
着物の背中に四角い赤いつぎをくっっけていたんだんが、その中みたら、千手観音のお守りがどのくらま(首)にくっつけてあった。
その守りに、観音様のお姿があるんだんが、方丈様は
「この子を尋ねるには、これを証拠にしなけやならんすけ、これがついていたことは、決して人に話しちゃならねえ」
というた。
その子は、大きくなって出世して、いい小僧になったそうな。
そして、そのうちに、そのお寺の方丈様になった。
昔は、寺の外には腹減らしてあがあがしている人(飢えている人)がいっぺいいた。
寺じゃ、へにん粥(がゆ)(非人粥)というがんを煮て
「この寺の鷹に人をさらごうれた人は、この寺の方丈様の親だ。へにん粥をくわせるから、腹の減った人は名のり出よ」
と立札を出した。ほうしたら
「おれが方丈様の親ら」
「おが親ら」
という人が、いっぺい来たと。
だろも、いんな証拠がなかったと。
四・五日たってから
「おが、この方丈様の親ら」
という目のツブれた婆様が来た。
「何の証拠があるか」
とお寺の人が聞くと
「別に証拠というてないろも、きもんの首ったまにお守りかけているだけら」
というんだんが、これがほんとの母親だとわかった。
方丈様も喜んで、その持っている観音様で
「ぎんざいなとへいせい、ぎんざいなとへいせい」
と婆さまの目をこすったら、婆さまの目があいて、そこで一生終ったという話だと。
法坂 樋ロソメ
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