沼垂宗吉
新潟県長岡市(旧刈羽郡小国町)の昔話。どこか人なつっこい方言とおだやかな語り口調が嬉しい昔語りです。昔話のCDで独特の語り口調がわかると民話の文章が話し始めます。ぜひ昔ばなしを地の語りで聞いてみてください。
新潟の沼垂に、沼垂宗吉という家があったそうだ。
その家の枠も、宗吉という家だった。
家の中で大事に育てると、嫁をとらねばならぬときが来た。
その村に、キサという女子があって、宗吉もいいふらし、キサもいいふらんだんが、人から仲人してもろうて、キサを嫁にもろうことになった。
祝言して、親たちは孫の顔見るのを楽しみにしていたろも、一年めても、二年めても孫ができなかった。
そのうち、おとっつぁんが死んで、そのつぐの年、ふとした風邪で、おっかさんが死んでしもうた。
嫁が、
「親たちは、孫の顔みねえで死んでしもうたし、二人で一生懸命働こうねか」
というて、百姓仕事していたろも、なかなか銭が残らんかったそうだ。
嫁が、
「二人して一生懸命稼ぐろも銭がたまらんが、おがいうこと聞いてくんねか」
というたと。
「おめえの言うことてやなんだや」
「こう難儀して百姓していても、金もたまらん、子供もねえでつまらんが、あきんどになってみようねか。俺の相談にのってみてくんねか。俺を古町(ふるまち)の女郎屋へ連れていって、三年の年季で三百円前借りして、お前は、呉服買うてきて金もうけれやいいねか」
「お前そんげのことできるか」
「できる」
こうして相談がきまって、二人して古町の女郎屋へいって
「ごめん下さい」
と入ってゆくと、中から店の主人が出て来たと。
「このおんな子を三年奉公させて、三百円借してもらんねえろか」
とたのんだと。主人も、その子がきれいの子らんだんが
「承知しました」
というで、金を貸したと。
その金で呉服仕入れて商いしたら、金がもうかったと。
毎年毎年、金がもうかるんだんが、三年の年限を忘れてしもうたと。
おんな子は、女郎屋で、今日来るか、明日来るかと三年待っても、宗吉は来ねかった。
そのおんな子のどこへ、能登のお客がひまなしに通うて、金使うて、どうしょうもねんだんが、能登の家の衆は、怒って勧当してしもうた。
息子は、
「仕方がねえ、そっじゃ身請けしょう」
というて、キサを連れ出してしもうた。
宗吉は、気がついてみたら、三年の年季が、四年もたっていたんだんが、仕方がねえ、大急ぎで女郎屋へ跳んでいって、聞いたと。
ほうしたら、その主人が、
「本人も待っていたし、俺も待っていたろも、いっこう来ねんだんが、能登のお客が、もうぞうして(夢中になって)身請けしていってしもうたが」
というた。宗吉は、
「それは困ったことになってしもうた。どこにいるやらわからんろか」
と聞くろも、女郎屋のだれもわからんかった。
宗吉は、家へ帰って、
「日本中たずねても、キサに会うて詑びしなけりゃならん」
と思うて、六部(ろくぶ)になって、日本中回って歩くことにした。
夕方暗くなって、佐渡の岬の広い海辺へさしかかった。
そうしると、海ばたに、小さい藁で葺いた家があって、そこでちゃかん、ちゃかんと火燃やしている。
あそこへいって泊めてもらおうと思って、入っていったら、キサが出てきて、
「おめえさん、宗吉さんでねか」
とたまげたと、宗吉も、たまげて
「もうしゃけねえ」
とあやまった。キサは、
「おめえが来てくんねんだんが」
というて、二人して泣き合うた。
「おらどこの亭主は、魚取りにいってまだ帰って来ねが、その間に夕飯たべて、戸棚にかくれていてくんねか。亭主が帰ってきたら、とまぐち(入り口)に寝せておくすけ、亭主刺し殺して、明日は、二人して、どこかへいこうねか」
とおせてくれた。
宗吉は、たまげて
「そっげのことができるか」
というと、キサは、
「できるこっつお、おめえさん見たんだんが」
というて、宗吉を戸棚に隠しておくと、亭主が帰ってきた。二人して、
「寝ようねか」
というて、寝たそうだ。
十二時ごろ、宗吉は戸棚から出て、亭主ののどくびを、匕首でつっどおしたそうだ。
ほうしたら、それはキサの泣き声だった。
宗吉もたまげたし、そばで寝ていた亭主もたまげたと。
ほうしたら、へん中に、棒が立っていて、「あの子をたてればこの子が立たん両方たてればこの身がたたん」と書いてあったそうな。
その手紙を見て、二人は、あきらめて、けんかもしねかった。
二人して穴を掘って埋めたそうな。今でも
「佐渡の岬の夜越(よごし)の桜、枝は越後へ、葉は能登へ」
と唄われていると。
法坂 樋ロソメ
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