縁結びの話
新潟県長岡市(旧刈羽郡小国町)の昔話。どこか人なつっこい方言とおだやかな語り口調が嬉しい昔語りです。昔話のCDで独特の語り口調がわかると民話の文章が話し始めます。ぜひ昔ばなしを地の語りで聞いてみてください。
とんと昔があったげろ。
侍の落人で、なるかみさんぞうという人がいたと。
戦争に敗けて宿なしになったんだんが、十月の神無月の時に、出雲の大社の縁の下に泊ったと。
ほうしたら、上の方で神様が、
「あれとこれ、あれとこれ」
というて縁結びしなさっていたと。一人の神様が、
「これでいんな終ったねか」
といわっしゃったと。ほうしたら、もう一人の神様が、
「まだこの下へ泊まっている男が残っているがの」
というんだんが、
「それはじゃ、どこへ相方(あいかた)がある」
と聞いたと。
「あの舟着き場へこのごろ女っ子が生まれたそうな」
と一人がいうと、
「そうか、それと結ぶか」
ともう一人の神様がいうて、なるかみさんぞうとその子の縁結びがきまったと。
その舟着き場の家は、昔は、ごうぎな旦那様だったろも、今は貧乏して、だれもつきあいしていねえ家だったと。
その神様の話を聞いて、
「あっつらんと俺を縁結びしようとしているが、困ったんだ」
とさんぞうは思うたと。
「ほうせばいっそのこと殺してしまえばいいねか」
と思うて、次の朝げ、舟着き場へいって見たと。
日和がいい時で、家の前のつぐらに入れてかわいげな女の子を外へ出していたと。
そこへ、さんぞうは、手裏剣ぶって、自分じゃ後も見ねえで逃げてきたと。
家の中じゃ、赤子が、ごうぎに泣くんだんが、いってみたら、赤子に手裏剣ぶたれていたと。
そこで薬じゃ医者じゃと大さぎして、その子は、やっと命拾いしたと。
さんぞうは、後侮して
「人を殺して来てまで生きていたって、どうしょうもねえ。死んだ子のために坊主になろう」
と思うて、東京のいいお寺に願うたと。そこの方丈様も、
「小僧もいねんだんが、弟子にでもなってくれ」
といわしゃったと。
ほうして、さんぞうは、そこの弟子になり、だんだん時がたって出世したと。そのうちに方丈様が死んでしもうたんだんが、授戒して、その寺のあとを継いだと。
三日して、壇徒がいんなしてお参りに来たと。
日暮れになって、いんなが家へ帰っても、きれいな女が一人残っているだと。
次の日も次の日もやっぱり残っているがんだと。
さんぞうも不思議に思うて、三日目になって
「お前は、毎日ぶらぶら寺へ残っているが、どういうわけら」
と聞いてみたと。ほうしたら、その女が、
「俺をお前さんのかかにしてもらいたい」
というがだと。
さんぞうは、たまげたろも、ちょうどかかもなかったんだんが、
「じゃ、俺のかかになってくれるか」
というて、夫婦になったと。
あったかくなって、二人して行水して、背中流しこぐら(ながしっこ)したと。
かかの背中に、ごうぎな刀傷(かたなきず)があったんだんが、
「なあ、このきずはなんのしたがだ」
と聞いたと。ほうしたら、かかが、
「おがまら小さくで、つぐらの中へ入っていた時、手裏剣ぶっていったがんがあるがんだと。そっでも、命拾いして、でっかなって、おいらんに持って出られて、女郎に売られたがんだ」
と話してきかしたと。
さんぞうは「出雲の神様の縁結びの話」は、やっぱりほんとのがだ。
と思うて、たまげたと。
これでいきがすぽーんときれた。
法坂 樋ロソメ
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